HISTORY中里鋼業の歩み

HISTORY歩み

私たちは、
実直に鉄と向き合い
70年の歩みを
進めてきました。

2018年12月をもって、当社は
70周年という節目を迎えることができました。
戦後復興期の創業から現在に至るまで、
私たちは世の中のニーズと向き合い、
その都度技術の研鑽や、最新の設備投資で
様々な難題を乗り越えてきました。
私たち中里鋼業の70年の歩みは、
ひたむきに実直に鉄骨と向き合い、
永続不変の信念のもとに、
技術と信頼を積み重ねた歴史でもあります。

1948昭和23年

戦後復興期の創業

時代は戦後の復興期、
鉄の道へと歩みを進める。

当社の創業は1948(昭和23)年、先代の中里純夫の時代に遡ります。戦時中は東京の飛行機製造工場で勤務し、鉄と触れ合うことの多かった純夫は、終戦を迎え今の小美玉市周辺に拠を移し、中里工業を設立しました。
当時は戦後の復興期であり、鉄への需要はありながらも原料の輸入がなく新たに鉄が作れない状態です。当社も鉄製器具や金物など、暮らしに結びついた貴重な鉄を修理・製造する鍛冶屋としての業務でした。社名こそ今とは漢字が異なる中里「工」業で、規模もまだまだ小さなものでしたが、今と変わらず真面目で丁寧な仕事との評判を得ていました。

1956昭和31年

鉄骨需要と事業転換

鉄骨需要の高まりから
現在の事業内容へ。

東京タワーの開業や新幹線の開通などが間近に迫る高度経済成長の最中、インフラの整備が急速に進んでいました。高層ビルだけではなく一般建築についても、木造から鉄骨造りが主流となっており、鉄骨への需要はさらに高まっていました。当社も徐々にお引き合いが増え、1956(昭和31)年には業務の拡大に伴う工場の移転を行いました。この頃にはすでに現在に近い業態で、地域の体育館の鉄骨製作に携わった際には、超音波による鉄骨の内部構造の検査でも欠陥が見当たらないなど、難工事でも高い評価を得るようになっていました。

1972昭和47年

安定成長と設備投資

法人化と社名変更を経て、
設備・人の拡充で安定成長。

当時の日本では、「日本列島改造論」を掲げた田中角栄内閣が成立。全国で相次いだ高速道路の建設をはじめ、鉄骨に対する需要も大いに高まることとなります。国内での鉄骨需要に呼応するように、当社も1972(昭和47)年、社名を「株式会社中里鋼業」へと改め法人化を果たしました。
また、この頃から社員の拡充や工場の統廃合を行うなど、会社としての体制づくりを進め、現在に至る中里鋼業が形作られていきました。

2018平成30年

新たなる中里鋼業へ

70周年を迎えるにあたり、
新たにロゴマークを策定。

70周年を迎えた2018年からはVIを刷新するプロジェクトをスタート。これからも変わらずに着実な成長を遂げていくため、改めて自社を見つめ直しました。そうして出来上がったロゴマークでは、中里のNと鋼業のKを統合的に表現することで、企業としての一体感をさらに強めていくよう願いを込めています。
また、併せて使用するロゴタイプはH鋼をモチーフとし、文字の接点を太くデザインすることで堅調さ、安定感を演出しています。